©2018 by Gardena Buddhist Church. Proudly created with Wix.com

 『どの声を聞くか』

関谷 沙羅

2020年3月29日

南無阿弥陀仏。皆さま、いかがお過ごしでしょうか。色々な声が聞こえてきます。病に苦しむ方、大切な方を失うかもしれない方、失わないように危険な中に努めてくださる方々の、うめき。どんどん人が亡くなり、友人も職を失った。あんな方も、親戚も感染した。いや、軽症の人も沢山いる。実は大げさすぎるんじゃないか。明日が見えない。こんな日々は苦痛だ。監禁されているようだ。体制でさえも崩壊するかもしれないとニュースは言う。世界はどこに行くのか。静かさからの耳鳴り。もう嫌だ。。。

 

 ···読んでるだけで気が滅入りますね、ごめんなさい。そんな声が鳴り響く苦しい日々ですが、あらためて、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。忍の心でもって、なんとか健やかに過ごしてくださっているでしょうか。ささ、今日も笑ってまいりますよ。皆さんが屈託なく笑った時のお顔を覚えています。思い出すだけで私も笑顔になります(なりました!今)。人の笑顔にはなんだかすごい力があるのでしょう。輝かしい美しさ、一瞬の中の永遠のようなものが発せられるように感じます。昔、航空会社に勤めていた時に学んだのですが、笑顔でいる方が楽になる気がしました。365日の内の大半は働いているわけですから、日によっては全く笑う気分じゃない日もありましたが、先輩方が「口角を上げて!」と日々仰るので、戦闘用マスクを着けるかのように、頬の筋肉を使い、キュッと口角を無理やり上げて、上向きな口(ヘの字でなくて、Vの方)にしていました。そうすると、そこからはそのV字の口が引っ張ってくれるのです。驚きでした。戦闘時のリーダーと平常時のリーダーは異なるそうですが、V字の口はまさに闘う時の(つまり色々ジレンマがあるような時です)頼もしいリーダーとして、心・身体を一つにまとめあげてくれました。辛いんだけど、あの輝かしい時に向かうんだという意思のようなものを、口角に感じるんでしょうね。この身体の仲間達が、それぞれが、その方向に向かって努力してくれたように思います。ツライから笑顔になれないのではなく、笑顔が(引きつっていますが)私を、次の環境を作るのです。からだとはそういうものです。 

 

 禅の言葉に聞く「随所に主となれ」という言葉を思い出します。いついかなる場合にあっても主体性をもって、真実の自己に在り、力の限り生きていくならば、いつ何時も、束縛されることなく、それぞれが真の場所にある、いかなる外界の渦に巻き込まれるようなことはない、というような意味だそうです。それは私達でいえば、お念仏に生きる、ということでしょう。私達はお念仏があるから、そのような生き方が可能となるのです。その光をいただいて、私達は闇に落ちることがありません。どこまでも掬い上げてくださるはたらきが届いてくださっているのです。自灯明、法灯明といわれるように、仏教は私が外に何かを求めるのではなく、独り生きる中で、ここに全てあると、知らされる教えであります。法を拠りどころとするならば、このいのちは、こころは、何者にも収容されることはありません。

 

 京都の御本山の飛地境内である角坊(すみのぼう)は、親鸞聖人のご往生の地と定められてありますが、その少し北に上がったところの臨済宗妙心寺派大本山の妙心寺に、山田無文老師という管長がおられました。その方がご本に残した言葉はかつて私に、仏教こそ依りどころであるんだ、と知らせてくださいました。私はその言葉に押されて、曲がりくねった道に思えつつも今振り返ればただ一つの白道であった、仏道を歩ませていただいてきました。無文老師が河口慧海老師の講義に行かれた時に聞いた言葉とその喜びはこのようでありました。

 

「『この地球を全部牛の皮で覆うならば、自由にどこへでもはだしで歩ける。が、それは不可能である。しかし自分の足に七寸の靴をはけば、世界中を皮で覆うたと同じことである。この世界を理想の天国にすることは、おそらく不可能である。しかし自分の心に菩提心をおこすならば、すなわち人類のために自己のすべてを捧げることを誓うならば、世界は直ちに天国になったにひとしい』

というのである。わたくしはどんなに感激してこの一文を読んだであろうか。この言葉こそ、わたくしの心に第二の転機をあたえたものであった。」

 

 私達は全世界の幸せを願いながらも、それを実行することは己には難しいことです。しかし、私達自身が法を聞く人となり、法(お念仏)によって智慧と慈悲のもとに生きる人となることは、その大きな革で世界を覆い救うことと同等のはたらきをもつのです。今、生き難いこの場(狭い!とかうるさい!とか色々ありましょうが・・・)こそ、私に与えられた場所、役割であります。遠くに求むる人もありましょう。声高の方もおられましょう。でも、ここで、仏教者として生きることを大切にせねばなりません。教えをいただいて、あなたをしっかりと生きることです。

 

 親鸞聖人は門弟に宛てたお手紙で、「(あなた方は)今、すべての人びとを救おうという阿弥陀如来のご本願のお心をお聞きし、愚かなる無明の酔いも次第にさめ、むさぼり・いかり・おろかさという三つの毒も少しずつ好まぬようになり、阿弥陀仏の薬をつねに好む身となっておられるのです」とお示しになられました。毒を撒かないよう慎み、阿弥陀如来様がお見せになるおこころから学ばせていただいた生き方、穏やかな顔と優しい言葉で接する「和顔愛語(わげんあいご)」を、今この瞬間に大切にすることであります。辺境においても、「ここが仏様から私に与えられた場所」と、私達は力の限り生き抜くこと、輝いて生きることができるのです。 

 

 そう考えると、航空会社の方々がお客様の前で「困った顔笑顔」をしているのも納得です。色々あるけど、ここは気持ちとは裏腹に、口角を上げるんだ、ということでしょう。彼らも泣くに泣けない状態でしょう。それでも、お客様の為と言いながら、自身や大切な方々、そしてかけがえのない日々の喜びのために、鍛えられた頬の筋肉でもって口角を上げて、奥歯をギシギシ噛み締めながらも、彼らも明日に向かって笑顔の闘いをしてくれることでしょう。 歌声が聞こえてきています。世界の人々が、ギュッと口角を上げて、共に歌っている音が響いてきています。さあ、共々にお念仏申しましょう。

南無阿弥陀仏